アメリカンスロットの末裔オンラインスロットがいま熱い!

俺は今まで日本のギャンブルには全然ハマらなかったんだが、オンラインカジノにはけっこうハマってしまっている。

オンラインカジノで主に遊ぶのはスロットだ。ライブカジノなんかでも遊ばないわけじゃないが、俺はスロットの魅力にどうにも弱いところがある。

スロットの好きなところはなんといっても、その「デザイン」だな。俺はオンラインカジノにハマる前からそもそもスロット自体が好きだったから、それがハマった理由としてはかなりデカい。

リサイクルショップなんかでアンティークなスロットマシンを見つけると、家のインテリアとしてついつい買ってしまいそうになるくらいには俺はスロットマシンの魅力にやられている。

もちろん、数台ではあるがスロットマシンをインテリアとしてすでに購入してもいる。本当はもっと買いたいくらいなんだが、そこはさすがに愛する妻に止められてるってワケだ。

そう考えると、俺はスロットマシンを部屋に増やしていく代わりにオンラインカジノでスロットを打つようになったのかもしれない。スマホのなかのスロットで遊ぶくらいなら、俺の止まらないスロット愛が妻の怒りを買うこともない。

自覚なきアメリカかぶれの心をくすぶるスロットマシン

自覚なきアメリカかぶれの心をくすぶるスロットマシン

妻に指摘されるまで自覚していなかったのだが、俺は相当の「アメリカかぶれ」であるらしく、俺のスロットマシン好きも妻が言うには「アメリカかぶれ」の一つでしかないという。

確かに、結婚する前から妻とのデートで俺が店を選ぶ時はアメリカンダイナーであることが多かったし、外車のディーラーっていう俺の仕事も、そもそもが学生時代からアメ車が好きだった俺の趣味が高じて、そのまま生業になったってだけの話だ。

服装もデニムを基調としたアメカジだし、野球も大リーグしか見ないし、極めつきはアメリカンスロットだ。

ここまで明らかにアメリカ好きでありながら、妻に指摘されるまで「アメリカかぶれ」であることに気づけなかったなんてバカみたいな話だが、このバカみたいなところまで含めて俺は「アメリカン」なのかもしれない。

日本のパチスロを見向きもしなかった俺が、オンラインカジノのスロットにはハマっちまったのも、妻の指摘でようやくその理由がわかる始末だ。まったく、俺以上に俺のことを理解してくれている妻には頭が上がらないな。

まあ、そんな妻への尊敬の気持ちもあって、俺はスロットマシンの筐体の購入は我慢して、オンラインカジノのスロットを打ってるっていう、まあ一種の「のろけ」だな、これは。

ちなみに俺の妻はパツキンのグラマラスな美女なんかじゃなくて、北関東の農家で生まれた日本人女性だ。本当に愛する人のことだけは「趣味」では選ばないってことだ。

オンラインカジノはアメリカンスロット好きがハマれる

俺のようなアメリカのスロットマシン好きと、日本のパチスロファンは相容れない部分を抱えている。オンラインカジノは、どちらかというとアメリカンスロットが好きな方がハマりやすいんじゃないだろうか。

もちろん、マジのギャンブル好きならば「スロット」だろうが「パチスロ」だろうが関係ないだろうし、勝つか負けるかだけが基準になっていて、貪欲にどんなギャンブルでも愛していくだろう。

オンラインカジノにハマってスロットを打つようになり、いろいろと調べていくと「日本のパチンコ・パチスロファン」が意外とオンラインカジノのスロットにはハマっていないらしい、ということを知った。

俺はパチスロファンではないが、パチスロファンがオンラインカジノのスロットに物足りなさを感じるのはよくわかる。

俺がアメリカンスロットのデザインや音が全面的に好きなのと同じで、パチスロファンも日本の漫画やアニメのキャラが採用されたデザインや演出を愛しているのは当然のことだからだ。

それに、パチスロを打つ環境というのも彼らにとっては重要であるだろう。コインを指から滑らせる感覚や、アタリが出たときのコインが溢れ出してくる臨場感なんかは、オンラインカジノのスロットでは味わうことができない。この点については、俺も彼らの考えと同じだ。

とはいえ、オンラインカジノのスロットは、当然ながらアメリカンスロット本体の魅力には及ばないにはしても、俺の「アメリカかぶれ」の心をくすぐるくらいの魅力は十分にある。

本場のベガスのカジノに行かなくても、スマホ一台で大量のスロットマシンで遊べるというだけでも、オンラインカジノを評価していいだろう。

進化を続けるスロットマシンの歴史の最新型としてのオンラインスロット

俺はレトロ趣味としてのスロットマシンも好きなのだが、つねに進化をしつづけているスロットマシンの歴史の最新型のものとしてオンラインカジノのスロットに注目しているところもある。

サンフランシスコの酒場に置かれた「リバティベル」の時代から100年以上の時が過ぎ、ラスベガスのカジノの登場とともに、カジノの発展とともにつねに進化を続けて形を変えてきたのがスロットだ。

「オンラインカジノのスロットには、アメリカンスロットの面影がもうないのではないか?」「コインレスのスロットマシンを、果たしてスロットと呼んでもいいのか?」という考えがある一方で、俺には同時に「スロットはいまこのような形になって歴史をつないでいる」というような感動があるのも確かなのだ。

実際、オンラインカジノのスロットのなかには「これもスロットなのか…?」と思ってしまうようなシステムのスロットも少なくない。

旧来の考え方でいうと「リールがまわって絵柄が揃う」というものがスロットのイメージに限定されるのだが、オンラインカジノのスロットのなかには「テトリス」や「ぷよぷよ」のような落ちものゲームのシステムが採用されているものもあり、それらも一様に「スロット」という名前で呼ばれている。

逆に言うと、日本のパチスロのほうがオンラインスロット以上に「本来のコイン式スロット」に近い部分が多く見受けられるし、アメリカンスロットの進化系の一つの傍流としての魅力がしっかりあるということに、オンラインカジノのスロットを打ちながら最近気づかされたのも事実だ。

オンラインスロットは、俺のなかに「固定観念」としてあったアメリカンスロットのイメージを、破壊しながら拡大し、「スロットとは何か」ということの理解をより深めるためのゲームとして重要なのかもしれない、というのが最近の俺の考えの一つである。

「アメリカかぶれ」として始まった俺のオンラインスロット遊びは「スロットとは何か」という問いとともに、俺をアメリカ趣味の先へと連れて行ってくれる「新しい何か」なのかもしれない。愛する妻を選んだ理由が「趣味」ではなかったのと同じように……。

アメリカンスロットの枠を超えていくオンラインスロット

アメリカンスロットの枠を超えていくオンラインスロット

俺はこのサイトで、オンラインカジノを通してアメリカンスロットの魅力を発信していくつもりだ。

だが、ここまで書いてきたように、オンラインカジノのオンラインスロットのなかにはすでに「アメリカンスロットの枠」を超えてしまっているものが多くあるのも事実だ。

「アメリカンスロットの魅力」ということにこだわると、おそらく「スロットの最新系」の理解が妨げられることになるだろう。

俺の今後の課題としては、「アメリカンスロットの枠を超えてしまったオンラインスロット」に対して「これもまたアメリカンスロットなのだ」という着地点をいかに見つけていくか、ということになっていくだろう。

スマホから顔をあげれば、インテリアとして購入したアメリカンスロットの筐体が眼に入ってくる。形は違えど、オンラインカジノのオンラインスロットも、このアメリカンスロットの血を引いた子供たちなのだ。

アメリカンスロットの子孫であるオンラインカジノのスロットの魅力を通して、俺は、俺のなかの「アメリカ」を再発見するフロンティアスピリッツを育てていきたいと考えている。