カジノの本場といえば、誰がなんといおうと「ラスベガス」であり、誰も異論をはさむことはできないだろう。
そして、「ラスベガスがカジノの本場である」ということは、当然ながら、「ラスベガスがスロットの本場である」ということもまた意味している。
実際、スロットの歴史と現在までの時間のなかで、ラスベガスは不動の地位を獲得しており、その地位が揺らぐことはない。
カジノファンのみならず、すべてのスロットファンにとって、ラスベガスというカジノは、本場である以上に、いつかは帰るべき「故郷」であり「聖地」であるともいえる。
また、ラスベガスのスロットの歴史を紐解いていくと、「ラスベガスのスロット」と「日本」という国の切り離すことができない蜜月の関係を見ることもできる。
諸説はあるものの、実はすべての「リールマシン」は日本製のスロットなのだと言いきってもいいほどに、ラスベガスのスロットは根っこをたどっていくと遺伝子レベルでほとんどの台が「メイドインジャパンの機種」なのだ。
歴史的にも日本人になじみが深いラスベガスのカジノは、ギャンブラーならば死ぬ前に一度は訪れなければならない、アルファにしてオメガともいえる場所である。
そこで今回は、スロットの本場であり聖地でもあるラスベガスのカジノにおけるスロット事情や、日本との関わりなどを見ていくことにしよう。
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ラスベガスでは日本人がジャックポットを当てたことがある
カジノのスロットといえば「ジャックポットによる高額配当」が最大の魅力だが、ラスベガスのカジノでは過去に「日本人がジャックポットを当てた」という歴史があることをまずは抑えておきたい。
ラスベガスのスロットのジャックポットは「億越え」も期待できるため、世界のカジノの中でも屈指の高配当を夢見て世界中から「億万長者」を目指した多くのプレイヤーが集まっている。
ラスベガスの「スロット」に対する熱気は、ジャックポットの歴史性と高額配当によって、世界各国の他のカジノとは別種の熱気を帯びている。
そんなラスベガスの高配当スロットで、残念ながら「億越え」とまではいかなかったものの、日本人が「ジャックポット」を当てた歴史があるということは、これからラスベガスのスロットを打とうと考えている日本人にとっては、これほど「夢」がある話もないだろう。
ジャックポットを出した日本人が受け取った配当は58万ドル(日本円に換算して約7000万円)と言われており、億越えではないとはいえ、日本のパチンコ・パチスロの高配当とは比較にならないことは明らかだ。
ジャックポットを当てた日本人が打った台は「Wheel of Fortune」で、投資金額はわずか25ドルだったと伝えられている。25ドルが58万ドルになるのだから、ラスベガスのスロットのすさまじさがわかろうというものではないか。
日本人がジャックポットを当てたのは2007年の出来事だから、15年以上が経過した現在、「ジャックポットを当てた二人目の日本人が出てくるのもそろそろ時間の問題ではないか?」という「夢」を期待したくもなる頃合いである。
ラスベガスのスロットのシステムは日本の会社が開発している
ラスベガスのスロットの「リールマシン」のシステムは、1985年から現在まで「ユニバーサル社(現ユニバーサルエンターテイメント)」という日本の会社が開発したシステムをベースにしている。
開発者はアメリカ人の開発者であったものの、開発を先導したのが日本のユニバーサル社であったことから、1985年という年は「日本とラスベガスの関係」が切っても切れない関係になった記念の年として記憶されることになった。
スロットには「バーチャルリール」という技術理論を実現化するための「ステッピングモーター」というコンピューター制御技術が必要とされており、その技術理論と制御技術が「結婚」することで初めて「ジャックポットが提供できるスロット」を製造することができる。
この「ステッピングモーター」をというコンピューター制御技術を開発し、「バーチャルリール」という技術理論と「結婚」させたのが、日本のユニバーサル社であり、この「結婚」によって生み出されたのがラスベガスのジャックポット搭載のスロットである。
ラスベガスで誕生したスロットが「基軸」となり、世界各国のカジノに広がっていき設置され、稼働することになる(現在も稼働している)カジノのスロットは、すべてがこの「技術理論と制御技術の子供たち」であり、それはつまり「ラスベガスと日本の子供たち」なのだ。
ちなみに、「ステッピングモーター」という制御技術が技術理論と結婚する以前に、すでに日本のパチスロではこの「制御技術」だけが使われていたと言われている。
そう考えると、「ステッピングモーター」という「精子」のようなものがラスベガスという土地で技術理論という「母胎」に結合することで誕生したカジノのスロットの歴史と、日本のパチスロの歴史のズレや相関関係なども「日本のスロット打ち」としては興味深く感じられるが、今回は深く追わない。
ただ、一つだけ言えるのは、「パチスロ」と「カジノのスロット」が異母兄弟的な血縁関係にあるという「日本とラスベガスの蜜月」の確かな事実であるだろう。
ラスベガスのスロットをどこで打つかの簡単な基準
ラスベガスでは40か所ほどでカジノが運営されているため「スロット」をどこで打つかを決めるための簡単な基準を持っておくといいだろう。
ラスベガスでスロットを打つときに有効とされている一つの簡単な基準は「人が集まりやすいカジノであるかどうか」というものである。
この基準に照らして「スロットでどのように遊びたいか」を考えてカジノを選ぶのが、スロットを打つことをメインとしたカジノ選びでは思いのほか役に立つ。
ラスベガスのカジノに関しては、確たる証拠はないものの「人が集まりやすいところほどスロットの還元率が低く、それほど立地がよくなく人が集まりにくいカジノほどスロットの還元率が高い」という傾向がみられる。
これは都市伝説的な考えともいわれるが、「カジノ側の利益」を考えると、払い戻しの比率が「人口」によって左右されるのはあながち空論でもない。
俺個人としては、「比較的人が少ないカジノ」のスロットでは「細かい当たり」が期待でき、「人が集まるカジノ」のスロットでは「ジャックポットの総額」が期待できるという風にこの基準を活用している。
ラスベガスのスロットでは「どのように遊ぶか」が重要になってくるのだが、個人的には「絶対にジャックポットを当てる」というような遊び方でジャックポットを当てることは、あまり感心できる遊び方とはいえない。
前述したように、日本人でジャックポットを当てた高額配当者は「ジャックポット」のことなど少しも考えておらず、「寝る前に最後に一発打ってみるか」というタイミングでの勝利であった。
「スロットを長い時間純粋に楽しみたい」のであれば、人が少ないカジノでゆっくりとスロットを選びながら、小さい当たりを繰り返してカジノを堪能するという遊び方がベターだろう。
人が多いカジノであれば「テーブルゲーム」などでパーッと遊んだあとの気晴らしや、最後の「シメ」としてスロットで遊んでみる、という気楽さで臨むのが、スロットとの付き合い方としては「いい距離」なのではないかと思われる。
もちろん、ラスベガスの「人が集まるカジノ」は雰囲気がバツグンなので、勝ち負けに関係なく「ラスベガスでスロットを打つ」ということ自体が快楽的体験であることは言うまでもない。
ラスベガスのカジノでは日本製機種はそれほど価値がない
現在のラスベガスのカジノでは「機種自体がメイドインジャパンであること」にはそれほど価値がないため、スロットを選ぶにあたっても「日本製であるかどうか」はそれほど気にかける必要はないだろう。
前述したように、ラスベガスのスロットというのはシステムという「遺伝子レベル」でメイドインジャパンであるため、スロットの機種がどの国で作られていようとも、多くの人が「起源」を忘れてメイドインジャパンの機種で打っているという事実は揺るがない。
となると、「機種の製造元」が日本製であるかどうかは、「システムの起源」が日本製であることに比べると、それほど重要ではないことは明らかだ。
私見ではあるが、現在ラスベガスのスロットでもっとも熱く勢いがあるのは「中国製」の機種であるだろう。
古いタイプの日本人には受け入れがたい感覚かもしれないが、ハッキリ言って現在の中国というのは技術力においても経済力においても日本とは比較にならず、当然その技術力と経済力の差のようなものは、ラスベガスに設置されている多くのスロットにも反映されている。
ラスベガスのスロットのなかでビジュアル的にも台数的にも目立つのは、現在では中国製のスロットであり、中国製スロットがラスベガスに集まる多くのプレイヤーを引き付けているという事実は、反共教育にドップリ毒されているタイプの古い日本人であっても認めなければならない。
むしろ、捨て去るべきくだらないナショナリズムや、先行世代が侵略と植民地搾取などで手に入れてきただけの経済力や技術などという雲をつかむような「自分ではない者たちに由来するプライド」に邪魔されて、ラスベガスでもっとも勢いのある中国製スロットで遊ばないという選択肢ほどバカらしいことはない。
実際、コナミなどの日本企業は現在中国製スロットをラスベガスに多数提供している現状があり、その時代状況に即した冷静な選択と謙虚さは、スロット打ちも見習うところが大きいだろう。
ラスベガスのスロット事情まとめ
- 日本人がジャックポットを当てた歴史がある
- ラスベガスのスロットはアメリカと日本の子供である
- 人がどのくらい集まるかでスロットを選ぶといい
ラスベガスのスロット事情は、以上になる。
ラスベガスという場所は、スロット打ちにとっては「聖地」であると同時に、最新の時代状況などにあわせて変化を続ける「現場」である。
ジャックポット搭載のスロットの起源にアメリカと日本の結婚があることや、中国製スロットの台頭などの現状からも明らかなように、ラスベガスのカジノというのは本質的には「インターナショナル」な場所であり「混血文化」であると考えることができる。
世界中のスロット打ちが集まるラスベガスでは、自分が没落国家の国民でしかない日本人であることをスロットを打っている間だけは忘れられるし、さらには「世界市民」としての自覚が芽生える可能性さえある。
カジノの本場ラスベガスで、ぜひともスロットの神髄を味わっていただきたい。